都島区の名所・旧跡

都島由来記

大阪市都島区網島町11 毛馬桜之宮公園内

縄文時代には、都島区一帯は淀川・旧大和川河口あたりのアシの茂る砂洲にすぎませんでした。

この地に人が住み始めたのは平安時代以降のことですが、たびたび河川の洪水にあい、長い間小さな村が点在するという状態が続きました。

「都島」の地名は、難波宮(なにわのみや)の近くであったことから名づけられたとも、難波宮の向こうの地であったことから、「宮向島(みやこじま)」が転化して都島となったともいわれています。

豊臣の時代になると、区の南端部は、山城・河内・大和の国々と難波の地を結ぶ交通の要衝として発展し、中北部は、徳川時代になってから近郊農村として発達しました。

明治22(1889)年「市制町村制」の施行、さらに、市域拡張や行政区の再編成を経て、昭和18(1943)年4月1日、大阪市の22区制実施により、現在の区域による都島区が誕生しました。